まったく魔術師というやつらは面倒だ。勝手に王国に住み着いておきながら、王に対する敬意というものがない。街に住めばいいものを、用があるなら人をよこせとばかりにこんな辺鄙な森の中に引きこもってやがる。
俺はこれでも宮廷騎士。馬も入れぬほど鬱蒼とした森の中を、足元に気をつけながら歩かなければならない身分ではない。王の手紙を運ぶには、そこらの従者に頼むわけにはいかないのだ。
森は嫌になるほど静かだ。陽は中空にあるというのに、木々にさえぎられて薄暗い。所々に大木の根や倒木があり、うっかりすると無様に転んでしまいそうだ。
突然ガサゴソと音がし、俺は隣にいるはずの従者から弓矢を取ろうとした、が、誰もいない。そういえば従者どもは魔術師を恐れて誰も付き従おうとはしなかったのだ。
俺はしかたなく、音のする方を注意深く観察する。音はだんだん俺に近づく。落ちた枝を踏みしだく音。生きた枝が裂ける音。シカや人ではないな、と思った時、巨大なクマが現れた。
身の丈は人の約二倍。それが直立して俺を威嚇している。開いた口から恐ろしい雄叫びを発し、尖った歯は俺の肉に突き刺そうとうかがっているようだ。
しかも、俺の手元には剣すらない。貧弱な短剣があるぐらいだ。その短剣を取り出し、クマにかざす。そしてクマが一瞬怯んだところを、脱兎のごとく逃げ出した。
逃げ出す、ではない。撤退だ。いや、転進だ。この森にあのような凶暴なクマがいるとは聞いていなかった。森から出たら即刻領地に戻り、嫌がろうが何しようが従者を全員連れて行くのだ。
どのくらい走ったのだろう。何度か転びかけながらも、かなりの距離を走ったはずだ。こんなに走ったのは従騎士時代以来なので、甲冑を身に着けていないのに思わずゼイゼイとして息を切らしてしまった。
一息ついて逃げ出したほうを見る。するとあの凶暴なクマが二足走行で走ってくるではないか。しかも早い。邪魔な枝をなぎ倒しながら、俺に向かって一直線だ。
転がるようにして俺は再度逃げ出した。もう言い訳どころではない。あれは怪物だ。獣があのように二足で走るなど、あってはならないことだ。魔術師が住む森には、尋常ではない生き物も棲んでいるのか。従者どもが行きたがらなかったのも今ならわかる。王の命令とはいえ、あまりにも危険だ。
その時俺の脚に何かが触れた、と思った瞬間、顔面から地面に叩きつけられた。何が俺を転倒させたのかを知るよりも早く、人食いグマは俺の背後に迫っていた。手足どころか身体中が震えて身動きが取れない。俺はこのまま怪物の餌食になってしまうのか。
人食いグマがその腕を振り上げた瞬間、俺の目の前は真っ暗になった。
陽光に気がつくと、そこは森の外だった。そばに愛馬がつながれている。すぐそばに街道に通じる小道がある。俺はこの場所から森に入ったのだった。
俺は大切な王の手紙を確認しようと、懐から取り出す。しかし出てきたのは厳重に封印したものではなく、一枚の紙切れ。
「王からの手紙は受け取りました。長旅お疲れ様でした。次はクマ程度では動じない勇者か、さもなくば幻影に惑わされない智者をよこすようにと王にお伝えください」
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