猛禽類コーナーに連れて行ったのは失敗だった。
「どうしてこんなに狭いところに閉じ込めておくの。かわいそうじゃないの!」
ポニーテールに結んでいるウェーブがかかった黒い髪を揺らしてリーレイは流暢な日本語で叫ぶ。黙っていればエキゾチックな東南アジア系美人なのに、これじゃただのヒステリックな電波女だ。
さっき小鳥やキジ類を見てもそんなことは言わなかったのに。
「こんなに大きな鳥なのに、大空を自由に飛べないなんておかしいわよ!」
オオタカが地面に降りて、時々変な鳴き声をあげている。ワシやタカの雄大なイメージが台無しだ。
「園長はどこ。野性に返すよう交渉してくる」
「ちょっと待てよリーレイ」
僕はどこかに行こうとするリーレイの腕を引っ張って止める。けど、すぐに振り払われる。やばい本気だ。
「テツヤには関係ない」
「関係ないとかそういう問題じゃないだろ」
「これは国際問題。園長の答えしだいでは国交断絶するかもしれないんだから」
ちょっとそれはぶっ飛ばしすぎ。
「国交断絶ってさ、それリーレイが勝手に言ってるだけだろ」
「今決めたんだから。あたしが決めたことは国の方針なんだから」
こんなわがまま娘を女王としてあがめなければならない某国に心底同情してしまう。でも、その某国の女王様が日本の高校に留学してるのはトップシークレットじゃなかったっけ。
「だからそうやって勝手に決めるなよ。だいたいさ、簡単に野性に返すって言うけど、それで鳥は幸せになるのか?」
「幸せでしょ。自由に大空を飛べるようになるから。少なくともこんな小さなオリの中を飛び降りることしかできないのよりは」
僕の眼には十分に高くて広いオリを指差して言う。でもたしかにこのオリでは空高く舞うトビのように自由に飛び回ることはできない。
でも、鳥が自由に飛び回れるようになるからといって、すぐに野性に返していい話ではないことぐらい僕だって知ってる。
「でもさ、大空を飛べるようになったとしても、餌の獲り方を知らない鳥を放すのは、鳥を飢えで殺すようなものだよ」
「餌なんて野生に返ればすぐに獲り方を覚えるわよ」
なんか僕が中学校のときの恥ずかしい主張を思い出す。親父にさんざんバカにされた嫌な過去が浮かんでくる。
あのころは若かった、なんて高校生が言っていい台詞じゃない。
「あのさ、もし君が身包みはがされて上野公園に置き去りにされたら、この国で生活していける? 周りの人は誰も君のことを知らないんだよ。政府も大使館も、学校にだって頼れないんだよ」
自分で言って気がついた。なんだ、そういうことなんだ。
でもそれを認めてはいけない。絶対に認めるわけにはいかない。
「バ、バカにしないでよ! あたし一人でもなんとかやってみせるわよ」
だから僕は突き放さなければならない。彼女の願望を砕かなければならない。
「僕にだって頼れないんだよ。僕に電話する金もないし、僕の家に行く道も知らないんだよ。この国はお金がなきゃ何もできないのに、そのお金を稼ぐ方法を、君は知ってるの?」
「テツヤなんか大っ嫌い! テツヤならわかってくれると思ったのに!!」
僕の左ほほに平手が炸裂。あっけにとられているうちにリーレイは走ってどこかに行ってしまった。こっそりと見学客にまぎれていたSPの人が追いかけていったのを確認して、僕は地面に座り込んだ。
左ほほがひりひりする。見学客がわざわざ僕の様子を覗き込んでいく。僕を見ながらひそひそ話をしている人たちもいる。
注目、浴びてたんだ。ただのけんかだと思ってくれるといいんだけど。
リーレイはきっと、ここのワシやタカと、彼女自身を重ねちゃったんだろう。小国とはいえ一国の女王として、王宮という名のオリに閉じ込められた生活と。
今はまだ未成年ということで、政治のことは全部国にいる大人たちがやってくれているらしい。でも、それもあと一年ぐらいまで。十八歳になったら全て彼女の手に戻る。全て彼女が決めなければならない。政治も、複雑な外交も、みんな。
今の日本での高校生活は、彼女に与えられた最後の自由。そのことは彼女はわかってると思う。わかってないと、いろいろな人が困る。わかっているからこそ、今のうちに逃げ出そうとしているのだろう。
逃げ出したいのはよくわかる。僕だって彼女の立場になるのは嫌だ。でも彼女が逃げ出したらあの国は崩壊する。あの国を巡って周辺各国で戦争がおきる。日本だって巻き込まれる。だから僕は、そんな彼女を逃げ出せないようにする飼育員の一人。
たぶん今、彼女のSPが説得しているんだろう。下手すると園長か飼育員に会って、僕の言っていることの理由を懇切丁寧に説明してもらっているのかもしれない。僕よりも上手に、説明してもらっているだろう。
彼女はバカじゃない。説明されればわかってくれるだろう。今まで説明してくれる人がいなかっただけだ。僕を含めて。
リーレイはこのまま僕を嫌ってくれればいいのに。彼女の気持ちをわかろうとせず、正論で彼女の言い分を封じようとしてばかりしている僕なんか憎んでくれればいいのに。
そうしたら僕はリーレイを連れてどこかに逃げ出そうだなんて願望をもたなくてすむ。
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